そんな顔しなくたっていい
V6が2021年11月1日をもって解散することを発表した。
これは私の人生が一度終わることでもある。
いきなり大袈裟にマイナスな表現ぽく言ってしまったけど、気持ち的にはそんな感じです。
私は3歳になる年、実質2歳のときに三宅健くんのことを好きになってから今まで、ずっとV6のファンとしての人生を送ってきました。
今年で私もファンになって23年の月日が経つことになります。
V6と一緒に生きてきた23年間、本当にいろいろなことがあった。
まだ言葉もおぼつかない時から健くんのことが好きで、それから小学校・中学校・高校・大学を卒業して、社会人になった今も、ずっとずっと健くんへの気持ちが変わったことは一度もない。
楽しいときも悲しいときもつらいときも、絶対そばにいるのはV6でした。
V6の存在は、私にとって単なるアイドルなんてものじゃなく、私が生まれてここまで生活している中で、ずっとそばで支えてくれて、一緒に成長してくれたような、そんな存在なのです。(おこがましいですが)
好きになる音楽とか、人とか、私にとってのルーツは全部V6にあって、V6が私に生きていくすべてを教えてくれたと言っても過言ではありません。本当に。
先日の25周年ライブのとき、代々木体育館と6人の顔が画面に映し出された瞬間、今までの思い出が走馬灯のように思い出されて、涙が溢れた。
V6が一人も欠けずに6人で活動を続けてくれていること、それは同時に私がここまで生きてきた証でもある、と勝手に思っているのです。
今までもこれからも、私の人生はV6なしでは語れない。
私の人生はV6によって作られたようなものなのです。
だから、悲しい意味とかそういうのを抜きにして、本当の意味でV6の解散は私の人生に一度終止符を打つようなものだと思っています。
でもだからといって、V6が解散するから死ぬ、とかそういうわけじゃないです。
6人のメンバーがこの世に存在する限り、私は生きていなきゃいけないから。
V6と同じ時代に生まれてこれた奇跡を1日も無駄になんてできないから。
もちろん、解散は寂しいし、解散したあと私がどうなるか、今から考えると不安になります。
でもむしろ、25年(解散するときは26年)一人も欠けることなく、V6として6人が生きてくれたことに心から感謝しなければならないな、と思っています。
ひとりひとりが、目指す目標に向かって活動をしながら、V6としての活動を一度も止めなかったことを、本当に本当に心から感謝しています。
ずっとずっとずっとそばにいてくれてありがとう。
2021年11月1日まで、返しきれないけど精一杯V6に恩返しができるように生きていきたいです。
これからもずっと、
どうかよろしく。
吐きそうになる位言葉はあるのにな
大好きなクリープハイプのライブに
約1年ぶりに行ってきました。
生きる糧にしていたはずのライブが中止になってから1年。
やっと、やっっっっと演ってくれた。
この状況だから、やれないのは分かってたし、我慢しないと行けないことだとはわかっていたけど、
正直本当に本当に長かった。
待っている時間が、というよりかは、もう一生会えなくなったらどうしよう、という不安感のほうが大きかったかもしれない。
クリープハイプを好きになってから、私は本当にクリープハイプに生かされていた。
毎日クリープハイプを聞かない日はない。聞かないといられないから。
毎日聞いても、何回聞いても、聞けば聞くほど聞きたくなって、ライブに行きたくなって、
いろんなアーティストがライブをやっているのに、なかなかクリープハイプに会うことができないのが、すごくもどかしくて苦しかった。
待つ時間が長かったせいか、普段はあと1週間、あと2日、、っていう待ち遠しい気持ちでいっぱいになるのに、
なんだかずっと現実感がなくて、気付いたら当日を迎えていて、気付いたら席に座っていた。
正直、始まってもずっと現実感がなかった。
こんなにもフワフワした状態で迎えたライブは初めてだった。
今まで何度も見てきたはずのクリープハイプの4人の姿を見ただけで、大袈裟なようだけど夢の中にいるような気分だった。本当に。
1曲目が始まって、4人の音が揃った瞬間に、ねじが外れたように涙が溢れてきた。
だって苦しかったから。
クリープハイプに会えない日も、好きなように出かけられないことも、マスクをしないと人に会えないことも、仕事も人生も何もかも。
クリープの音を聞いたら、それまでグッと押し殺してた感情が一気に溢れ出た気がした。
クリープハイプの4人の音を、生で、体で感じることができている状況が、こんなにも幸せなことだったことを痛いくらいに思い知った。
今まで何度もクリープハイプのライブを見てきたけど、確実に今までで一番のライブだったと思う。
4人の演奏はもちろんだけど、なんだか会場にいる全員が同じ気持ちで、メンバーと私達ファンの今まで溜め込んでいた感情を一気に吐き出して、共有したような気がした。
声も出せない、マスクで表情もあんまり見えないのに、なぜかすごく伝わってる気がした。
私達の気持ちが、メンバーに届いてるってことも、なぜかすごく伝わってきた。
ライブが終わるのはいつも寂しいけど、
今回のライブほど終わらないでほしい、帰りたくない、ずっとここにいたい、と思ったライブはない。
尾崎さんが何度もつぶやく「寂しい」に、大声で返したい気持ちでいっぱいだった。
本当に本当に、本当に寂しかった。
でもそれ以上に、私達は大丈夫なんだと強く感じたライブでもあった。
会えなくても、会えない間にこんなに私達は同じ気持ちを持って生きていたんだと、伝えづらくてもこんなに伝わっているんだと。
これから先、どんなライブを見てもこの日のライブを忘れることはないと思う。
この日ステージに立っていた4人の顔を忘れることはないと思う。
私はこれから何があっても、
死ぬまで一生クリープハイプを愛していきたい。
私の人生を支えてくれるクリープハイプに
いつか恩返しができますように。
どんどん出てきちゃうんだよね、心の声が
それまでなんでもなかったのに急に地球上に自分だけが取り残されたみたいな気持ちになる夜ってあるよね。
少なからず私はあります。
今まで20数年間生きてきて、
普通に就職して、普通に進学して、友達がいて、家族がいて、恋人がいて、割となんの苦労もなく幸せに生きてきてると思うんだけど
何から何まで満たされない、どうして私ってこんなにつまらない人間なんだろう。
どうして私如きがこんな我儘を言っているんだろう。
と突然自分のことを責め立て、と思いきや被害者ヅラして、悲劇のヒロインみたいに意味もなく涙を流すことがよくあります。
結構な頻度であるけど、あれって本当によくわからない。
私は基本何でも寝たら忘れるタイプだし、布団に入ったら5分もあればすぐに寝るタイプなのに、そういうときは何をしても寝れないし、起きても気分が晴れない。
昔からなんとなく、私は周りとは合わない。どこか変だ、私のことなんてわかってくれなくていい。
と、他人と壁を作るタイプではありました。
とはいえ、特別な才能があるわけでもなく、特段極めてる趣味や知識があるわけでもない、つまりなんの変哲もない一般人なわけで。
そういうやつが自分はちょっと特別かも、なんて思ってるって一番恥ずかしくて痛くて惨めじゃん!という自己嫌悪を一生繰り返すループに突入。
あー本当に生きるってめんどくさい。
五体満足で普通の生活ができてるだけで幸せ。
そんなこと十分わかってる。私が幸せなことくらいバカでもわかる。
それなのに生きるってことはどうしてこうもめんどくさくて疲れるし息苦しいんだろう。
そんなことをずっと考えて、いずれこの気持ちが消えていくのを静かに待つ、という毎日ですね。
もう少し楽に生きてもいいんだけどなあ。
自分をまじまじと見せつけられるような映画「勝手にふるえてろ」を見ていると、ヨシカに対してそんなふうに思ってしまう。
このセリフまんま自分に返してあげたいな。
明日こそはもっと楽に生きれますように。
日常は異常、異常巻きの日常。
お焼香のやり方って毎回わからなくなるよね
私くらいの年齢だと親戚も親もみんな元気で、お葬式って行ったことないんだよねって人が結構多かったりするようですが、
私はというとなぜか結構葬式には縁があるようで(?)小さい頃にひいばあちゃんのお葬式で葬式デビューして以来結構お葬式に出た回数が多い方なのかなと思ったりしています。
めちゃくちゃ親戚が多いとかでもないんだけど、ずっとお世話になってるバレエの先生のお父さんのお葬式とか、父の仕事先の後輩の息子さんが赤ちゃんのときに亡くなったりとか。
私自身に一番近いところで言えば、ずっとライバルのような関係だった友達が亡くなったり、何かと葬式に出る機会があったなと思います。
そのこともあってか、割と普段から死とかそういうことはよく考えたりします。
葬式とか死とか言うと暗い感じがするけど、特にそういうわけでもなく、もうちょっとフラットな感じで。
当たり前のことだけどいずれ誰にでも死が訪れるものなので、身近なものとして考えておかないと後々こわいなって。とはいえ人の死は何度経験しても慣れないけどね。
まあこんな前段は特にどうでも良いのですが、今日は1本私が大好きなコントを紹介します。
シソンヌの「別れ」というコントです。
まさに葬式をテーマにしたコントなんですが、これが本当によくできたコント。
よくできたとか言うと誰おまって感じなんですけど、もうとにかく素晴らしいんですよね。
昔からお笑いは大好きだけど、恥ずかしいことにシソンヌのコントの良さを知ったのはかなり最近のことなのですが、彼らのコントはお笑いを超えて演劇として成り立ってる。
お笑いも演劇も詳しくないド素人が何を語ってんだって感じなんですが、ド素人の独り言だと思って大目に見てください。
元々私は漫才よりもコントが好きで、やっぱりコントにはちょっと演劇チックなものがあるから好みなんだろうと思います。
特にシソンヌのコントは、お笑いとしても天才的におもしろいし、演劇にある情緒的な何か(何かってなんだ)がたまらない。
その中でもこの「別れ」っていうコントは、お笑いと情緒が最高のバランスでできてる。
パッと見では、葬式なのにテンションがトチ狂っちゃった奇天烈お兄ちゃんと、それに突っ込むいとこのお兄ちゃんっていう単純な設定だけど、妹の死を受け入れられなくてテンションで乗り切っちゃうお兄ちゃんの表現が妙にリアルで心臓がキュッとなる感じがする。
いとこのたっちゃんが入ってきた瞬間にその情緒的なものがピークに達して、あれ何だこれ、、、私コント見てるんだよな、、、?って思いながら気がついたら涙が出ている。(このコントで泣いてるのって私だけじゃないよね?大丈夫だよね?)
泣き出したのも束の間、急にオーソドックス漫才が始まってお笑いの世界へグイーーーーンと引き込まれる。しかしなぜかこの漫才が始まっても涙は止まらない。
泣き笑いとはまさにこのこと。
ライブで披露されるコントは多くが10分超だったりするので、中では割とコンパクトな方なんだけど、
このコンパクトさで泣いて笑って、すべての感情を持ってかれる独特なコント。なんなんだこのコント。
シソンヌのコントはキャラクターが作り込まれていて、どのキャラクターもなぜか会ったことがあるような、彼らの背景を知っていたような、そんな気分にさせられる。
語彙力があまりにもないのでうまく伝えられないのが悔しい、、、ただどうしてもこのコントが最高すぎるので無心で書いてしまいました。
とにかく見て。いいから見て!
先日9回目の単独ライブが行われていて、会場には行けなかったけど配信で見させていただきました。
この単独の最後に披露されていたおじいちゃん2人のコントがあったんだけど、これもまた「別れ」と同じような感情にさせられるまぁ良いコントでした。
なんだろうこの感じ。コントを見ただけとは思えない心の充足感。
充足感とともに、会場で見なかったことをものすごく後悔しました。
シソンヌのコントは生で見なきゃだめだ!絶対に次は本多劇場でシソンヌのコントを見る!!
こんな素晴らしいコントを作れる才能、本当に素敵です。
とにかく、いいから黙って見てくれ。
「別れ」 - シソンヌライブ [deux]
ネイルシール可愛いけど剥したあとの爪が地獄
ブログといえば、昔アメブロに必死になってたことを思い出した。
中学2年生くらいだったかな?
その時は何を書いてたんだっけと思い返してみたけどまったくもって思い出せない。
多分当時大好きだった東方神起(この時はまだ5人)のことをただ話したくて、SNSが普及し始めた頃ってのもあって、ただただ#東方神起好きと繋がりたいっていう感じだったんだと思う。
(ちょうどこの時期は5人が分裂するかしないかみたいな時期だったのでいわゆるJYJ派と2人東方神起派みたいな派閥に巻き込まれてややこしい思いをしたこともある。ネットリテラシーがないって怖い。)
5分に1回くらいのペースでこんな感じに懐古する癖があるけど、自分のどうでもいい過去とかどうでもいい言葉を振り返ったりするのが好きなので、
掃き溜めとしてブログなるものを10年ぶり?くらいに開いてみました。
わーい自己顕示欲満たせるぞー!